富岡製糸場と人手不足

今年6月「富岡製糸場と絹産業遺産群」が世界遺産に登録され、建造物への注目も高まり、連日多くの観光客で賑わっているといったニュースを耳にします。富岡製糸場といえば、工場を支えた女性従業員の活躍が歴史的に大きな役割を果たしたところでもあります。後に民営の製糸工場を舞台とした映画「ああ野麦峠」などで過酷な労働環境や親への仕送りの為に働く悲惨な女性の姿がイメージとして残っている方も多いかもしれません。ところが、明治5年に操業を開始したこの富岡製糸場は現代にも通じる福利厚生を整えた「模範工場」でした。そうしたソフト面でも高い評価をされていますが、実際には人材に大変苦労していた一面もあったようです。富岡製糸場での当時の労働条件はどのようなものだったのか紹介したいと思います。

募集要項
   15歳~25歳(後に30歳まで)
   食事の支給あり 毎日の入浴可能
   さらに作業服、医薬品など一部官費負担
労働時間
   7時 作業開始
   9時  30分の休憩
   正午  1時間の昼休み   
   15時 15分休憩
   16時30分 作業終了(平均7時間45分労働)
休日)  
   毎週日曜、祭日 年末年始 夏休み有(日曜を休みにするのは時代の先駆け)
給与
   年功序列ではなく能力給

以上のように、今から見ても明治5年とは思えない好条件の労働条件の様に見えます。しかし、実際には常に人手不足でした。
1.明治5年の2月に募集を始めても希望者がおらず、世界一の規模が売りであるのに、操業時の10月には工場の半分しか稼働できないほどであった事(理由:フランス人に生き血を吸われるといった今では信じられない噂によるもの)。

2.その後、入社する工女は増えても、1年未満で辞める者が多く、長野・埼玉県からきた工女の記録をみると3分の2が1年未満で退社。
  (早期退社の理由)
     ・楽しみのない厳しい就業規則(日曜以外の外出禁止 門限は18時 厳しい面会規則等)
     ・嫁に行っても仕事を活かすことができない
     ・給与よりも、出入りする行商への月々払いが上回る(ストレスによる買い物?→借金)

理由は単純な様ですが、人材が育たないことは製品の質につながり、製糸工場の赤字の大きな原因の一つでありました。この人手不足は慢性的に続くこととなります。

現代も人手不足は大きな問題といえます。2014年の厚生労働省の調査によると、『従業員が「働きがい」「働きやすさ」を感じている会社では従業員の仕事に対する意欲が高く、今の会社に定着したいと考える傾向があった。さらにそうした会社では「業績が上がっている」と回答する傾向も高かった。』といった結論を出しています。
富岡製糸場を見ても、たとえ表面上の福利厚生が整っていてもそれだけでは「働きがいのある・働きやすい会社」とはならなかった事がわかります。最新鋭工場として意気込んでいた明治時代の政府も思わぬところで悩みは現代と同じだったようです。

出典:KKベストセラーズ「富岡製糸場と絹産業遺産群」今井 幹夫編著
    厚生労働省HP

千葉流山事務所 山田理香

 

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