手を合わせる心

私たち日本人は、ほとんどの方が、元旦には神社、仏閣に参拝し手を合わせます。また、時間があれば道端の地蔵様にも自然と手を合わせます。おそらく教会でもモスクでも目を閉じて手を合わせるでしょう。
私の長女は、祖母の影響か、小さい時は神社やお寺、お地蔵様の前を歩くと必ず立ち止まって手を合わせていました。ただ、私など不謹慎な話ですが、毎年元旦にお参りし手を合わせる故郷の神社の神様の
    名前は?
    男性の神様なのか?女性の神様なのか?
    単独の神様なのか、複数の神様が祭られているのか?
    神として敬うどのような行いがあったのか?
    どのようないきさつでこの神社で神様として祭られるようになったのか?
など一切知りません。また、調べる努力も特にしていません。なぜ私たちは、近くの、ときには縁もゆかりもない神社や仏閣に参拝し手を合わせるのでしょうか。また、宗教や宗派が違う日本だけでなく外国の神様にまで自然に手を合わせることができるのでしょうか。

私は宗教家でもなく哲学者でも心理学者でもありません。手を合わせる行為が、自分以外の誰かの存在を強く意識した行為なのか、それとも内なる自己を意識する行為なのか、それとは別の意識をもった行為なのかよくわかりません。ただ思うことは、他の人が敬い、大切にしている存在に対し、当然のこととして敬意を表し、静かに手を合わせることで、他の人の思いを尊重し、同じように大切にしたいとの思いがあるのではないかと私は感じます。

人は、もともと一人では生きていけない存在であると無意識のうちに感知しており、他の人が大切にしている場所に行ったときに、自然と手を合わせて同化しているような気がします。

私たちは、現在税務の仕事に関わっています。お客様がわからない税務の知識を提供し、喜んでいただき、私たちは、活躍する場を与えていただき喜びとしています。まだまだ未熟ですが、お客様の思いを理解し尊敬し、お客様と同化し、一緒に泣き笑いできる人間的なつながりができればと思います。手を合わせる心で。

社員税理士 黒田榮治

 

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